生きる伝説。84歳バックパッカー。

陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --畑野さん

シリア、レバノンイスラエルを約3週間もの間、

一緒に旅させて頂いた84歳で今も現役バックパッカー、畑野さん。



シリアの内戦による影響で、シリア国内への入国をためらう旅人も多い中、

畑野さんは一人で国境を越えてきたという。





シリアのダマスカスの宿のドミトリーで初めて会話を交わし、

畑野さんの旅をしてきた経験や各国の印象を聞いた。

50歳頃から一人旅を始め、高級なホテルやツアーでの旅(一般的な旅行)は避け、

重いザックを背負い、安宿に泊まり、大衆食堂で飯を食べ歩き、

自分よりも若いバックパッカーとの触れ合いを大切にして旅をされている。





日本では、

東京に拠点を置き、アパート経営や野菜農園を趣味とし、

毎日ジムに通い約2KMもの距離を泳ぎ、身体を鍛え維持している。

春、夏、冬はアパート経営や野菜の収穫時期で日本に住み、

秋になると約2−3ヶ月は海外へ旅へ出るというライフスタイルを楽しんでいる。



この歳になって、健康保険を解約し、今も大きな病気にはかかっていないという。



ただ一点、耳が聴こえなくなってきていると話されていた。

片耳は以前から聴こえず、

今回の旅で両耳が聴こえずらくなってきている...と。




それでも、旅に対する気持ちは貪欲で

そういったハンデを感じさせないくらいの姿勢で旅をされている。





一緒に旅をしていても、

僕らと一緒の目線で会話をしてもらったり、

一緒に飯を喰ったり、一緒の安宿のベッドで夜を過ごしたり、お酒を呑んだり。




旅中は、ほとんど弱音や愚痴も言われず、

僕らよりも前を先に歩くくらい元気な方で、その背中に見とれてしまう。

重いザックを背中を背負い、メキシコで買ったという革のブーツを履き、

姿勢もシャキッと真っすぐな状態で歩いていく...。




「自分が84歳になった時に、畑野さんと同じような事が出来るのか?」

そう何度も自分に問いただす事をせざるをえないくらい、素敵な人だった。






陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --ケンsクッキング

陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --シェア飯

一緒に旅をしていたケンと畑野さんへの手料理を振る舞う。



1回目....60点 インスタント麺を使ったオイスターソース焼きそば

2回目....70点 パスタ

3回目....95点 白飯 & 唐揚げ & サラダ






陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --天使と老人

 畑野さんは言っていた。




「高いホテルに泊まっても、良い飯を食べても、出逢いは訪れにくい。

 こんなバックパッカー旅だからこそ見えるものがある。

 だから、この歳になってもバックパッカーはやめられない...」 と。




 ケンと見つめ合い、

 「名言だな。」




 そんな言葉を交わした。

レバノンの奇跡。

『 Freedom Of Expression 』-レバノンゲート
シリアからセルビス(乗り合いバス)に乗り込み、

10カ国目Lebanon(レバノン)へ。





シリアの出国審査の場所ではシリア人でごったがえす長蛇の列が出来ていた。

シリア出国に約1時間〜1時間半近く待たされ、

レバノンゲートでもビザ取得(2週間US14$)に約1時間かかった。






中東の情勢は良くない為、

隣国でもかなり出入国の審査が流動的ではあるけれでも厳しい場合もある。

それは覚悟していた。

..が、あまりにも時間がかかり少しイライラする様な感情を覚えた。






『 Freedom Of Expression 』-地中海
「ビザ代はUS$では支払い出来ない。レバノン・リラに変えてこい」

と言われ、渋々両替所へ。



両替所に行くと、レバノン人が他の人と談笑していたり、

なかなか両替してくれないなど無駄な時間を過ごした。




ようやく、両替が完了したと思いきや、

レバノン・リラの渡し方がぶっきらぼうな感じだったので、

それにも腹が立ち両替所を立ち去る時に壁を思い切り蹴って外に出た




すると、両替所のレバノン人のオヤジがこっちにやってきて

「両替したレバノン・リラを返せ!」と怒号を立て、

舌をまくしたてて言って来た。

「やってしまった...」

....と、後悔の念と晴れ晴れしい気分でレバノン・リラをオヤジに返す。





結局、レバノン・リラに両替出来ないまま入国ゲートへ引き返してきた。

「両替出来なかったです」と申し出ると、

レバノンの審査官は、「そうか....じゃあもう行けっ!」



....!?.....!?.......!?

それって、ビザ代払わなくて良いって事? 




Lucky!





『 Freedom Of Expression 』-空。

って事で、

ビザ代 Free で無事レバノン入国。

Like a Europe

『 Freedom Of Expression 』-ベイルート
Lebanon(レバノン)の首都、ベイルートへ辿り着く。

フランスの統治下にあった事から、『中東のパリ』とも呼ばれている。





『 Freedom Of Expression 』-ベイルート
レバノンの首都は、

他の中東国に比べ洗練されていて、ヨーロッパの雰囲気が漂う街並。

歩いてすれ違う人々も洗練された人々が多く、お洒落な人達も多い。

ボロい格好をした自分が恥ずかしくなる.....。





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --地中海



陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --釣り

地中海沿いをゆっくり歩いてみる。

天気が良い。







陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --夜モスク。

レバノンにもモスクが存在する。

すっかり、イスラム圏だという事を忘れていた。

そんな事を忘れさせてくれる素敵な街だった。




『 Freedom Of Expression 』-祝い酒

もちろん、今宵もこいつで乾杯。

プハービール

圧倒的な存在感。

レバノンの首都、ベイルートから北東へ。

ベカー高原のほぼ中央に、バールベックは存在している。




この遺跡には、フェニキアの豊穣の神バールに由来し、

天地を創造する最高神ジュピター、酒神バッカス、愛と美の女神ビーナスに捧げられた

3つの神殿から成り立っているらしい。





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --バールベック




陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World -





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --宮殿






陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --宮殿内







陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --細かいディテール





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --柱の下から





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --宮殿







陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --木と遺跡





この旅の中で、自分が最もと言っていいほど圧倒された場所だった。

言葉では、言い表せないくらいの存在感がそこにはあった。





陽はまたのぼりくりかえす  -  Diary & Photos Of Traveling World --宿へ。

Quiet morning...

次の日も朝からパルミラ遺跡をあてもなく歩く。

早朝に歩くのは気持ちよく、遺跡内にも全くといっていいほど人がいない。

遺跡を眺め、好きな音楽を聴きながら、いろんな事をイメージ出来る贅沢な時間。






『 Freedom Of Expression 』

遺跡内のだだっ広い荒野に一軒のテント張りした小さな小屋の様な場所を見つける。






「誰か住んでんのかな?」と遠くから見ていると、

3人の子供達が外に出て来て、

「こっちにおいでー!」

子供達がそんな風に手招きをして呼んでくれた。






近づいていくと子供達のお父さんらしき人が「シャイ(紅茶)呑まないか?」と

英語が話せないのか、アラビア語とジェスチャーで僕に伝えてくれる。







財布を持たずに歩いて俺は、

「お金を持っていないです」という意志を伝えると、

おじさんは、首を横に振り

「お金はいらない。一緒にシャイを呑みながら、朝ご飯をたべよう」

そんな風に僕をテントの中へ誘ってくれた。





観光地だし、観光客相手にこんな所に呼ばれると決まって

お金を請求されるっていう風に思っていた自分がめっちゃ小さく思えた。









『 Freedom Of Expression 』
テントの中に入ってみると、

絨毯が部屋一面に敷かれ、家族が眠れるくらいの敷き布団が並べられていた。




きっと、家族が「川の字」を描いて、毎夜家族揃って眠っているんやろな。

そこは、そんな事をイメージさせてくれる小さいテントだけど温かくて優しい場所だった。







朝食は、ホブスと言われる丸く薄いパンと柔らかくゆでたひよこ豆をつぶして、

レモン汁やオリーブ油または溶かしたバターを混ぜて作られたフールと呼ばれるもの。

パンをちぎって、フールに付けて食べるシンプルな料理。









『 Freedom Of Expression 』
旅を通して、こういった出会いの中で食べさせてもらう料理は、

どんなレストランや食堂で食べるご飯よりも優しい味がする。



きっと人の温もりを心で感じるからなのだと素直に思う。











『 Freedom Of Expression 』





『 Freedom Of Expression 』
外に出て、子供達と一緒にi-podで音楽を聴いた。

子供達は音楽を聴きながら無邪気に笑いながら遊ぶ。










日本に居た頃の『中東』のイメージは、

内戦や紛争、民主主義を求めるデモ騒動など危険な場所だという認識だった。



けれども、実際にその国に来てみると、違う一面を垣間見える事が多くある。

自分の目で。










『 Freedom Of Expression 』

街ですれ違うシリアの人々は、何も好戦的な国民性ではなく、

むしろ友好的に『Welcome to Syria』と気さくに声をかけてくれる。






『 Freedom Of Expression 』


街を歩いて、彼らと話していると、

常に自分達がアメリカやイギリスのニュースなどの報道により

アラブ諸国を初めとした中東域の国々が

危険な場所』だという風に

間違った認識をされている事に憤りを感じ続けていることも話してくれる。










『 Freedom Of Expression 』-姉妹で
シリアの子供達は今日も楽しく穏やかな時間を過ごしている。

Pray &; Demo

『 Freedom Of Expression 』-礼拝1
アンマンのダウンタウンのランドマークとなっているアル・フセイン・モスク。

モスクの前には、大勢のイスラム教徒が膝をつき壁の前にひれ伏す様な形で座る。




モスクとは、イスラム教の礼拝堂のことであり、

仏教やキリスト教のように崇拝の対象物はなく、あくまで礼拝を行うための場である。




仏教ならブッダ(大仏)、キリスト教ならイエス・キリスト様や十字架など偶像物があるが、

イスラム教はそういった偶像物へのお祈りをせず、

壁に向かってコーラン聖典)を読み上げるところに大きな違いがあるらしい。




このモスクの前には、金曜日(イスラム圏では祝日にあたる)には、

道路を規制/通行止めにして多くのイスラム教徒がモスクへ礼拝をする為に訪れる。




自分がこのモスクを訪れたのも金曜日。

イスラム教徒が礼拝する様子を見る為にモスクを訪れた。



『 Freedom Of Expression 』-礼拝2
アザーン(اذان adhān)と共に、イスラム教はいっせいに頭を下げ礼拝を始めた。



アザーンとは礼拝への呼び掛けのこと。

「神は偉大なり」という意の句「アッラーフ・アクバル」の四度の繰り返しから始まる。


一日五回の礼拝の時間の前に礼拝の時間が来ることを伝え、周辺に住むイスラム教徒にモスクに集まるよう呼びかける。



現在は拡声器を使って流されることが多いようで、

時計代わりとして信徒の一日の生活上の節目となっているとも言われる。

(日本だと「夕焼け小焼け」の音楽みたいなもの。
 意味合いや生活背景は大きく異なるが、それほど生活に根付いている)





必ずしもアラビア語で行わなければならないわけではないとされるが、

アラブ諸国以外のイスラム国であってもアザーンアラビア語によって行われている。






アザーンは礼拝への呼び掛けであって、コーラン聖典)の朗読ではないらしい。

自分も初めは聖典を読み上げているのだと勘違いしていたが、

このアザーンが流れ始めると人々が仕事を止め、「モスクへ行かないといけない」

という人達に出会った事から礼拝への呼びかけだと理解した。





現代では電子式プレーヤー付のアザーン時計がムスリム社会で広く販売されていて、

目覚まし時計の電子音がアザーンの録音を再生するだけの単純な物から、

緯度と経度から正確な日の出や日没の時間を計算するものもある。




礼拝する時の方角は、イスラム教徒の聖地メッカ(サウジアラビア)の方角を向いて行なう。

その方角を示す機能が備わった高度な機器もあるらしい。

モスクが建てられている位置は、全てメッカの方角にあるとも言われている。

宗教が生活に根付いている事は言うまでもない事が、

この場所を訪れて初めて少しは分かった気がする。








『 Freedom Of Expression 』-デモ5
この日の礼拝を終えた多くの人達は、イスラム教徒を中心としてデモ行進を始めた。

一人の男が民衆を煽り、声を高らかにアラビア語で何かを叫ぶ。

警察隊が道路の両脇に陣取って、デモの様子を見守る。






『 Freedom Of Expression 』-デモ3

子供や女性達も交わり、頭にスカーフを身にまとったイスラム教徒の女性、

中にはキリスト教徒の人々も交ざりデモ行進に参加する。






『 Freedom Of Expression 』-デモ4


『 Freedom Of Expression 』-デモ1



ニュースやネットの情報によると、この日は約4000人が金曜礼拝の終了後、

「改正憲法の見直し」や「内閣の解散」を求める反政府デモを行った。

同様のデモは、その他の都市でも発生していたらしい。




ヨルダンの国王アブドゥラは、

同日、政治改革の実施に必要な憲法改正案を承認したとの勅令を発出していた。





しかし、同日デモを行った反政府勢力は、

憲法改正案の内容が不十分であり、国民の要求を充足するものではないと主張。





このデモ行進は、政府に対する不満が拡大した結果なのだと分かった。






この行進の群衆を横目でみながら、

民衆がしっかりとした意見を政府に伝える、民衆が一つになって不満をぶつけるといった出来事に触れ、日本がどれほど平和なのかを再認識した。




日本のメディアは政府の揚げ足を取るばかりであり、

自分を含め国民も政府の失態や低迷さに口を出すものの、

民衆が一体になって政府に意見を伝えないといけない、

といった危機感を感じなくても日本では生活出来る。





このデモ行進では自分達の生活が懸かっている事を一人一人が強く認識し、

行動を起こさずにはいられない環境なのだろうと感じた。




こういった事を感じて、

どうこう出来る問題では無いが他国の政治情勢を知れた一日だった。

1000 SYP

トルコからシリア行きを断念したが、

ヨルダンで宿が一緒だった日本人のケンと一緒にシリア入国を試みる事に。



シリアの国境超え(入国)は、

国内の内戦や政治的な影響により、入国出来るかどうかはかなり流動的。



それに、国境越えでの審査官によってもかなり個人差があるらしい。

厳しい審査官もいれば、気に入ってもらえれば簡単に入国出来る場合も。



つまり、運も味方しないと入国出来ない。

シリアへ入国を試みて、入れなかった旅人にも何人か出逢ったし、話しも聞いていた。



ヨルダンの宿で、

レバノン〜シリア〜ヨルダンへと旅をした勇太さんに出逢い、いろんな話しを聞いた。

国境ゲートの状況や、バス移動、交通費、シリア国内の治安情報、シリア人の印象....




いろいろ良い話しを聞き、治安があまり良くないシリア中央部を避け

首都ダマスカス、パルミラアレッポなどシリアでも見所となる場所は安全そうなので

シリアのボーダー越えにトライしてみる事に。




ヨルダン(アンマン)からタクシーに乗り、国境場所(ヨルダン側:ジャーベル)へ。





ヨルダン(アンマン)−シリア(ダマスカス)を結ぶ国際バスが値段的には安いが、

国境沿いで返されるかもしれない可能性を考慮して、

とりあえず国境までをタクシーにて移動する。





ヨルダン出国ゲートに着くやいなや、ヨルダン側の審査官数人に

「シリアのビザは取っていないのか?なぜ、取ってこなかった?」と厳しい質問攻めにあう。



この対策として、

「ヨルダン側のシリア大使館に行ったが、国境沿いでビザを取るように言われた」

という、もちろんウソを言って国境沿いでアライバルビザを取ろうとしていた。

ヨルダン側でシリアビザが発行される訳は無いし(現在のシリア国内の状態から)、

ビザを取る時間も数日間かかる。





「国境に行って駄目だったら、ヨルダンへ帰ってこよう」

ケンと俺はそんな気持ちでいた。



ヨルダン側の審査官に事情を伝え、まずは無事出国。

ヨルダンの出国は問題なくクリア(出国税 8JD : \800)!



ヨルダン出国ゲートとシリア入国ゲートは徒歩での移動では時間がかかる。

そこで、通りがかった国際バスのヒッチハイクを試みた。



.....これも、結構すんなりと成功!

待つこと約10ー20分で国際バスに乗り、重くてデカいバックパックをバスにいれてもらう。



いよいよ、問題のシリア入国ゲートへ。

やはり、まず初めに「なぜ、ビザを持っていない??」と厳しく質問攻めにあう。

ヨルダン側で説明したのと同じように

「ヨルダン側のシリア大使館にビザ発給で行ったが、アライバルビザ(国境で取得可能)」

という、シリア大使館すら行っていない俺らがウソごまかしで堂々とした態度で乗り込んだ。



すると、

シリア入国審査官が「ちょっと待っておけ」と言い、立ち去っていった.....

約20ー30分待っていると、

さっきの審査官のおっちゃんと上司らしき威厳ある審査官のオジさんが目の前に現れ、

「お前達は学生か?

 仕事をしているのか?

 なぜシリアにきた?

 シリアのどこに行く? 仕事か? 観光か?」

覚えきれないくらいの質問をケンと俺に吹っかけてくる。




ケンも俺も仕事を辞めてきているので、

「以前は仕事をしていたが、今は仕事を辞めて旅をしている」と答えると、

審査官はまた細かく聞いてくる。



「どんな仕事だ?分かるように伝えてくれ」という事を行って来た。

ケンは自分の仕事を、俺も自分が理学療法士として働いていた事を伝えると

理学療法士ってのは何だ?分かりやすく伝えろ」



いろいろジェスチャーを交えながら、簡単な英語で説明すると

審査官は俺の説明している事に横切って入ってきた。

「Like a massage ??」と少し笑みをこめて言ってきた。




「そうではない」と強く否定したかったが、

審査官がmassageの言葉に反応しているので、これでいこうと思い

「Yes , Like a massage . I’m therapist」と言うと

審査官の顔が一気に緩み、肩や首まわりを指差し「最近痛いんだよな」

という言葉とジェスチャーで俺に診てほしいと懇願してきた。




「向こうの部屋に来てくれ。ちょっと待っててくれ」と言われ、

しばらく待っていると数人の審査官が現れ、

「お前は日本でマッサージをしていたのか?俺も診てくれ」

媚を売っているようで嫌だったが、印象が悪くなるとシリアに入国出来なくなる。

自分を押し殺して、数人の審査官と会話を交えながら、

ストレッチや仕事の姿勢、自主トレやアドバイスを与えるようにした。



それが終えると、審査官は世間話を始めた。

「おいおい...ビザはどうなってるねん。」

シリア入国ゲートに来て、約2時間が経過していた。

「あの、俺らは入国出来ますか?」と質問すると

「あぁ、そうだったな。今、主任にかけあうから待っておけ」

と言われ、また待つ事に。



主任も現れ、審査官達と交わした同じ話しを蒸し返された。

主任はポケットからスタンプを出し、パスポートに「ポンっ」と一押し。



ケンも俺も、マイパスポートにシリアの入国スタンプ、ビザ取得に成功。




いやぁ〜約2〜3時間の格闘だった。

まぁマッサージって言われたのはシャクに触ったが、入国出来たから良しとするか。




無事、入国出来たは良いものの

シリア入国ゲート(ナスィーブ)から首都ダマスカスまでの移動手段は考えていなかった。



ヒッチハイクで行くには距離が遠く、国境越えする車も見当たらない。

ヨルダン〜シリアの国境越えする国際バスに乗り込もうとケンと話す。





待つ事にも慣れてきた。





一台の国際バスがヨルダン出国ゲートからシリア入国ゲートに向かって走ってくる。

「あれに乗っけてもらうかっ!」

国際バスの乗客がシリア入国(スタンプ、ビザ)を終え、俺らはバス運転手さんと交渉。




「ダマスカスまで行きたいんすけど」



「席があるから乗っていけ。一人1000 SYP (約\2000)。良いか?」



シリアの相場も分からなかったし、

シリアに入国出来た事に満足していた俺らは「ありがとうございます!」

意気揚々とバスに乗り込んだ。




シリア国境ゲートからダマスカスまでは約2時間。

疲れていた俺らはそのままバスの中で眠った。



「着いたぞ」

バスの運転手の言葉で目が覚める。

バスの運転手に 1000 SYP 払い、バスを降りる。




けど、ここはバス停でも何でもない場所。



「どこやねん?ここ?」



二人で迷っていると、通りがかったシリア人の学生が声をかけてくれた。

「Can I help you ?」天使の一言だった。

ダマスカスに行きたい事を伝えると、

「俺もダマスカスに行くしそんなに遠くないから、一緒にタクシーをシェアして行こう」

ケンと俺、シリア人の大学生3人でタクシーに乗り込む。




「シリアに入国するの大変だったよ。けど、何とか入国出来たよ」

なんていう入国&出国での話しをしていると、

シリアの大学生は俺たちに聞いて来た。




「国境からここまでバスに乗って来たって言ったよね? いくらで来たの?」



俺らは、

「一人1000SYP で来ました!」と言うと





大学生は顔を曇らして

「一人約150〜200 SYP で来れるよっ。それ払い過ぎたなー!?」




ケンと俺は顔を合わせて.....笑うしかなかった。





タクシーから先にシリアの彼が降りた。






俺らはダマスカスへ行き、宿を目指して歩いていく。




『 Freedom Of Expression 』-宿前にて
宿へは無事に着いた。(優しいシリア人のオジさんに連れられて)



国境越えには成功したが、約5倍の値段ボラれてたとは思ってもみなかった。



後で、分かった事やけど

一人1000SYP (\2000)あれば、シリア周遊出来るくらいの移動費らしい。




「まぁ旅なんて、こんなのもあるかー」



なんていう風にケンと笑い合って、宿のベッドにごろんと転がった。



あぁ....

.俺の1000SYP(シリアポンド)....。

meets Maalula

『 Freedom Of Expression 』-マアルーラ一望
ダマスカスから乗り合いバスで約1時間。マアルーラ(Maalula)と呼ばれる小さな街にやってきた。アンチ・レバノン山脈の荒涼とした岩山の渓谷にひっそりとあり存在するその街は、標高約1650mの場所に位置する。イエス・キリストが話したと言われるアラム語が現在も使われており、住民(約5000人)の大半がキリスト教徒ということでも珍しい街。


岩山の斜面に建てられた家々の壁が、水色や薄い黄色に塗られている風景はイスラム圏の住宅街とは異なりカラフルで美しい街としても有名である。シリアでも珍しいキリスト教徒がどんな風に生活しているのか気になりショートトリップしてみた。






『 Freedom Of Expression 』-教会
聖テクラ修道院に来てみた。昔、異教徒の迫害を逃れてこの地まで来た伝説の殉教者:聖女テクラ:は岩山に阻まれて前に進めなくなったが、彼女がその岩山の前で祈ると岩が裂けて道が開けたというとんでもない言い伝えが残っている場所。岩石を削って十字架の形が掘られておりキリスト教を信仰する様子が街全体をみていると感じられた。







『 Freedom Of Expression 』-イスラム女人
岩山を歩いていると、キリスト教の街にイスラム女性の姿が。

イスラム教徒の方なの、なぜここに来るのですか?」と失礼ながら聞くと

「元々、神は1つなの。

 歴史的な言い伝えで、信じる神は各宗教で違うけれど、私は考え方が違う。

 イスラム教徒だけど、信じる神はみな1つなの」

とてもシンプルなメッセージで答えてくれた。






『 Freedom Of Expression 』-シリアズピーポー
岩山をさらに奥へ奥へ歩いていくと、シリア人のダブルカップルに出逢った。彼らは仏教徒や空手、ジャッキーチェン、霊気など映画やヒーリング関係に興味があるらしく「中国や日本に行ってみたい」という事を熱く語ってくれた。





『 Freedom Of Expression 』-約束
彼らは、「日本語で自分達の名前を腕に書いてほしい」と頼まれたので書いて上げることに。予想以上にはしゃいで喜んでくれた。この写真と「平仮名で書かれた名前を覚えるよ」って、さっそくfacebookの交換やメモ帳に名前を書き出した。




『 Freedom Of Expression 』-ティー
彼らが岩山の先にある喫茶店に誘ってくれ、シャイを呑みながら長い時間彼らといろいろ会話した。マアルーラの観光をする時間はほとんど無くなったが、予期せぬこういった出逢いも良いものだなと改めて思いながら彼らと楽しい時間を過ごした。

imaging in Palmyra

『 Freedom Of Expression 』-パルミラ
ダマスカスから約3時間バスに乗り、

世界でも有数の巨大な規模を誇るパルミラ(Palmyra)遺跡群へ。




砂漠のオアシスに忽然と姿を現し、黄土色の列柱群や神殿跡を残しており、

シルクロード交易の隊商都市として栄えた遺跡群は

今も色褪せる事なくたたずんでいる様に見えた。







『 Freedom Of Expression 』-陽気な二人
すれ違う旅人の中で、パルミラの評判は半々くらいに別れる。

この広大なパルミラ遺跡群をどう捉えるか、

自分の時間軸をどう組み立てるかで遺跡群の印象は大きく変わるだろうなと思う。

それは、各個人変わっていいものだと思うし、印象や捉え方は大きく変わる。








過去の歴史的背景を学んだ上で王国が繁栄していた当時の様子をイメージ出来れば、

繁栄を極めたパルミラ王国を感じる事が出来るだろうし、

現在の時間軸から捉えれば滅びてしまった王国とだけ心に残るだろうとも思う。




『 Freedom Of Expression 』-列柱道路0



『 Freedom Of Expression 』-列柱道路



各国の遺跡群を見ていく中で、

難しい歴史書やガイドブック、ネットのWikipediaに載っている文章をそのまま捉えるよりも、

遺跡群を見て、自分がどう感じるか、自分だったらこんな風にイメージする。

って事を考えながら遺跡群を見ると面白いなと個人的には感じている。




パルミラは世界的な遺跡ではあるものの、遺跡を監視するシリア人の人影もなく、

遺跡を紹介する看板なども無い。

見方によっては広大な砂漠地帯に放置された遺跡とも映るが、

圧倒的な存在感を映し出している遺跡とも捉えられる。

自分は後者の方で、

広大な砂漠地帯にたたずむパルミラ遺跡の雄大な列柱道路や神殿跡をずっと見つめていた。





『 Freedom Of Expression 』-ベドウィン
遺跡前を通りかかったベドウィン一家を見かけた。



ベドウィンとは砂漠の住人とも呼ばれ、

アラビア半島を中心にラクダ・羊の放牧や売買をおこない、

輸送や他の仕事を営むアラブ系の遊牧民



往来しているベドウィンの様子が何度も何度も見る事が出来た。





『 Freedom Of Expression 』-物売り少年少女
遺跡内を歩いていると、遺跡内にテントを張った場所から子供達が二人現れた。

彼らはパルミラ遺跡内に居住地があるらしい。



家族で広大な砂漠の中に住みながら、

こうやって観光客相手にアラブ系の土産物を売買しているのだという。




買わない意志を伝えたが、人懐っこい笑顔をしてくるので一緒に話しをした。

英語が通じなかったので、会話というよりジェスチャーが多かった...かな。



身振り手振りで、パルミラ遺跡の事を伝えてくれたり、

彼らが住んでいる家に招きいれてもらったりした。



何も買わなくても、言葉が通じなくても、

彼らはずっと笑顔を絶やさず親切にしてくれた。






『 Freedom Of Expression 』-夕方
太陽が沈む時間になり、広大な砂漠の向こうに月が見え始めてきた。









『 Freedom Of Expression 』-夜1
夜になると、

満月と遺跡を照らすライトアップにより遺跡の表情は大きく変わる。





『 Freedom Of Expression 』-夜2

王国が繁栄していた頃は、今の様に照明なんてものが無かっただろうな。



列柱中央部の凸になっている場所に、

火を灯したたいまつをいくつも並べ王国の繁栄を唄い、

何千年前と変わらない月や星の光が夜の空を照らしていたんだろうと思うと、

きっと素敵な王国だったんだろうなと....

寒い夜空の下で一人で感じていた。

from Damascus

『 Freedom Of Expression 』-ダマスカス
今日はダマスカス市内を散歩。まずは、旧市街のスーク(市場)に足を延ばした。



スーク(市場)と呼ばれる場所を日本で例えると、商店街のようなものだろうか。

和歌山にもブラクリ丁と言われる商店街があり、高校ん時によく行った場所だ。



スークには絨毯や金銀のアクセサリー、民族衣装、

アイスクリームやケーキの店も多く建ち並ぶ。



全長600mほどあるらしく、天井はアーケードで覆われており、

1日中、シリア地方や他アラブ諸国からの観光客でにぎあう場所。

アラブ系の男達の呼びこみの声が屋根に反響して、人々のざわめきに吸い込まれていく。




『 Freedom Of Expression 』-ゴールド(アラブ)
スーク内の金一色のアクセサリー屋。

そういえば、

イスラム圏の女性は金色のネックレスやブレスレットを好んで身に付けている姿をよく見る。

女性は世界共通でアクセサリーや艶やかな装飾には目がないと言ったところだろうか。



おかんに買ってあげようかと思ったが.....やっぱりやめた。

別のにしよう。



店に入っていく客層を見ていると、若い人よりもおばちゃんが多い。

日本でも関西を中心として、歳を重ねるにつれて派手な装飾品を好む女性は多い。

若さを装飾品でカバーしようという心理が働くのか...

女性の気持ちはいくつになっても分からない。



『 Freedom Of Expression 』-下着ショップ
スーク内には、このような派手な下着ショップもあり、

女性客が連なるように店を出入りする。



すれ違うイスラム圏の女性は、

ベールやチャドル、ヘジャブと言った伝統衣装を身にまとい全身を覆うように隠す。

肌の露出をせずに、中には顔をも覆い隠し目が見えるのみという

自由な日本に居る自分には奇妙に映る。



全身を覆いかくすのが、宗教的に定められているのに、

下着は自由...そのギャップ差にイスラム圏の男性は夜にどう思うのだろう??








『 Freedom Of Expression 』-モスク2
スークを通り抜けると、イスラム第4の聖地:ウマイヤド・モスク:へ。第4の聖地と言われても、どうリアクションすれば良いか分からないが、とにかくイスラム教徒にとって荘厳なる巡礼の場所である事には変わりない。





『 Freedom Of Expression 』-モスク1


『 Freedom Of Expression 』-モスク3


『 Freedom Of Expression 』-モスク3
イスラム圏内を訪れて感じる事は、

オスマン朝時代に建てられたイスラム建築の素晴らしさである。

仏教、キリスト教の建立物を明らかに違い、視界に入る建物の調和、細かいディテールに施された装飾物やデザインの数々は、見るものを圧倒する。イスラームでは偶像崇拝が禁止されていたため幾何学模様と文字装飾が発展し、イスラーム建築を彩っている。



『 Freedom Of Expression 』-清めの儀式
イスラムは清浄と不浄の別を厳しく考える宗教であり、モスク内に入り行なう礼拝の前には心身を清め、清浄でなければならないそう。


コーラン』(聖典)にも、

「信仰する者よ、汝らが礼拝に立つときは、汝らの顔と、腕をひじまで洗い、頭をなで、足をくるぶしまで洗え。汝らがもし、大汚のときは全身の沐浴をせよ」と記載されているらしい。

巡礼前には、この清めの場所でイスラム教徒は自らを清め、礼拝する様子が見えた。





『 Freedom Of Expression 』-モスク内
モスク内の礼拝堂。

イスラム教徒が各々の場所に座り、モスク内の壁に向かって祈りを捧げる場所。

祝日の金曜日には、

この広い会堂を埋め尽くしたムスリムが一心不乱に礼拝する様子が伺えるらしい。






『 Freedom Of Expression 』-モスク昼寝
モスクは、イスラム教徒の人々にとって礼拝する場所でもあるが生活にも根付いている。

日本でいう公民館のように、地域毎にモスクが必ずありアザーンの時間に合わせて礼拝する。

モスクに行き、礼拝する人、食事する人、会話をこぞって楽しむ人、昼寝する人.....

宗教自体が生活に密に絡んでいる。




中東を訪れる前のイスラム教の礼拝は何か殺伐としていて硬く荘厳なイメージがあったが、

全然そんな事はなく気軽にモスク内を訪れる事が出来る。




イスラム圏の人達はアジア人の自分達を見ても、

「Welcome」と言ってくれるし他宗教徒で訪れても疎外感は全く感じない。

自分の中ではイスラム教のイメージは徐々に変わっている。




シリア人といろいろ会話し、モスク内の綺麗な絨毯の上で昼寝して帰ることにした。